医学部 塾・予備校活用ガイド
2025.06.16
【特別教育対談】医師をめざす子どもたちへ
自分だけの「知好楽」を追求
利他と自利が交わる場所に、
医師という仕事がある
1922年創立の旧制武蔵高等学校を前身とする武蔵高等学校中学校は、生徒の自主性を重んじる自由闊達な教育を通して、開校以来、医学界を始め、正解、経済界、学術界などさまざまな分野へ優秀な人材の輩出を続けている。2022年に創立100周年を迎えた同校は、「新生武蔵のグランドデザイン」を策定した。学園の伝統と向き合い、次の100周年に向けて新たなスタートを切る狙いだ。武蔵高等学校中学校校長の杉山剛士氏とSAPIX YOZEMIGROUP共同代表の髙宮敏郎氏に、生徒の内発的同期を高める武蔵教育の強みについて語り合っていただいた。
武蔵高等学校 中学校 校長
杉山 剛士 氏
SAPIX YOZEMI GROUP 共同代表
(代々木ゼミナール 副理事長)
髙宮 敏郎 氏
「グランドデザイン」の策定で100年のれきしと強みを再確認
髙宮 貴校は、建学の精神である「三理想」を土台とした自由闊達な教育で、社会に有為な人材を数多く送り出してきました。まずはこの「三理想」についてご説明いただけますか。
杉山 われわれが掲げる「三理想」とは、「東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物」「世界に雄飛するにたえる人物」「自ら調べ自ら考える力ある人物」を指します。これは、開校初年度の入学式で読まれた校長式辞をもとに作られたもので、開校から104年が経った今でも、本校の教育を支える大切な基盤となっています。
髙宮 創立100周年を迎えた2022年には、この「三理想」をベースとした「新生武蔵のグランドデザイン」を発表されました。その背景と狙いを教えてください。
杉山 このグランドデザインは、学園の100周年の歩みを振り返り、武蔵教育の特色や強みをあらためて言語化したものです。加えて、現在の学園が抱える課題を見つめ直し、めざすべき学校像をミッションに落とし込むことで、教員や生徒たちと目線をそろえ、よりよい学習環境を実現したいと考えました。教育のミッションには「世界をつなげる自調自考のエンジン」を掲げ、求める生徒像には「学ぶ意欲があり、知ることや考えることを楽しんで、積極的に取り組む生徒」、育てたい人物像には「独創的で柔軟な真のリーダーとして、世界をつなげて活躍できる人物」と定めました。
髙宮 杉山先生は武蔵高校の卒業生ですが、2019年に校長職に就くまでは公立高校で教員生活を送ってこられました。そんな先生が、母校に戻ってあらためて感じた武蔵の強みとは何ですか。
杉山 本物に触れて、本物を体験する機会がたくさん用意されていることです。例えば、校内に流れる「濯川(すすぎがわ)」や生い茂る木々のなかには、多様な生態系が広がっており、そこを歩くだけで、自然への興味や生き物を慈しむ気持ちが生まれます。それに加えて、好きな学問をとことん追求できるアカデミックな校風、比較的小規模な学校だからこそできる対話形式の授業、体験を通して知識を深めるフィールドワークなど、興味を持って踏み込めば、そこから一気に世界が広がるような仕掛けが、たくさん散りばめられているのです。グランドデザインでは、この魅力的な環境を「学びの水脈と対話の杜」ということばで表現しました。これらは本校の変わらぬ良さであり、これからも継承していくべき重要な伝統だと考えています。
SAPIX YOZEMI GROUP 共同代表(代々木ゼミナール 副理事長)髙宮 敏郎 氏
武蔵高等学校 中学校 校長 杉山 剛士 氏
教員の意識改革によって大学進学実績が向上
髙宮 新生グランドデザインの策定によって伝統や強みが可視化された一方、「課題」を見つめ直すきっかけにもなったとおっしゃっていました。具体的にはどのようなことですか。
杉山 われわれが課題と感じていたのは、生徒の進路指導に対する姿勢です。本校では長い間、「目先のことにとらわれずに、将来を見据えよう」というメッセージを発信してきました。しかし、それがいつの間にか「目先のことはどうでもいい」と誤ったニュアンスで広がってしまい、「大学受験に無頓着な学校」というイメージを持たれてしまったことは否めません。しかし、生徒が、たった一度の人生をかけて何を成し遂げたいのかを考え、その大事な一歩を踏み出す手助けをするのは、中等教育機関の大切な使命です。生徒たちは強い覚悟で大学受験に挑むわけですから、われわれもそのがんばりに対し、熱意をもって応えるべきだと考えています。
髙宮 その意識改革が奏功してか、2026年度の大学進学実績を拝見しますと、東京大学26人、京都大学17人、東京科学大学13人、一橋大学9人とすばらしい結果が出ていますね。
杉山 過去30年をさかのぼって調べたところ、東工大・京大・東工大(現・東京科学大)・一橋大の進学者総数が60をを超えたのは,2003年度以来初めてとなりました。さらに旧帝大というくくりで見ると、こと位は80名が進学していますが、最後に80の大台に乗ったのは、27年前の1999年というから驚きです。大学受験が人生のゴールではないとはいえ、このように実績が向上している状況は喜ばしいことですし、その内訳が、大阪大学、九州大学と全国各地に散らばっているところにも、自分のやりたいことに迷いなく突き進む武蔵生らしさを感じます。
髙宮 医学部医学科に今年は、15名が進学するなど、毎年、安定した実績を残しています。貴校には医学部受験に特化した授業はあるのですか。
杉山 本校では、医学部対策講座を設けたり、学校をあげて医学部受験を推進したりはしていません。それは、本校が提供する幅広い学びや体験を通して、自分が何に興味があるのか、何に向いているのかをじっくり考えたうえで、医師という職業を選んでほしいからです。
髙宮 あくまで生徒の内発的動機を確立させることが最優先ということですね。その動機を高めるために、進路指導において意識していることを教えてください。
杉山 最も大切にしているのは、生徒一人ひとりの「知好楽」を追求することです。「知好楽」とは、自分の知りたいこと、好きなこと、楽しいと思えること。これらを掘り下げることが、いちばん効率的で有益なキャリ、ア教育になりますし、本校には、それらを追い求めるのに最適な、本物に触れる教育と、豊かな学習環境が備わっていると自負しています。
本物に触れ、考える充実の理科棟と校外研修
髙宮 たとえば、2017年にに完成した「特別教室棟 ・ 理科」も、”本物”を近くに感じられる仕掛けの一つですね。
杉山 はい。理科棟には15.97mのワイヤーにつるされたフーコーの振り子が展示されています。これは、地球の自転を証明する装置で、生徒たちは振り子が示す数値を記録しながら、自由に実験を行っています。先日は、旧制高校時代から保管されていたマレーバクのはく製を大規模に修復しました。このはく製は、当時の日本に2体しか存在しなかったうちの一つ。観察のためにマレーバク本来の色に着色した部分と、研究のために作製当時の状態を残した部分に塗り分けをしており生徒たちは、興味深そうに観察しています。そのほか、化石標本や岩石標本、天文台や地震計なども自由に見ることができ、小さな博物館のような施設です。
髙宮 理科好きの男子にはたまらない環境ですね。校外学習も盛んなのですか。
杉山 1中の「地学巡検」では、箱根へ出かけ、フィールドワークを行います。ぜいたくなのは、生徒たちのバスに1人ずつ学芸員が添乗すること。車窓から地形や地層の注目ポイントを教えていただけるので、移動時間中もたくさんの学びがあります。また、中一は、3泊4日の「山上学校」にも挑戦します。登山や自然観察を行い、班行動を通して仲間を尊重し協働する大切さを学びます。中3の「天文実習」では、1泊2日で清里高原へ。太陽観測部のOBから、望遠鏡の設置方法やガイドスターの見つけ方などを教わり、学年全員で星空の観察をします。
髙宮 最近は地学を軽視する学校も少なくないなか、地形や天文の観察に力を入れる貴校の取り組みには、伝統校としての矜持を感じます。
杉山 大学入試科目として地学を選択するかどうかはさておき、そこで見たもの、触れたものは必ず彼らの心に残るでしょう。同じ理由から、本校の理科では、高1までは全員が物理・科学・生物・地学の4分野を履修します。どこに生徒の「知好楽」が隠れているか分かりませんから、下手に取捨選択せず、幅広く学ぶ姿勢を大切にすべきだと考えています。
髙宮 さて、最近は「探究」が教育界のトレンドですが、貴校にとっては昔から取り組まれてきた教育活動の一つかと思います。最近はどのような研究が行われているのですか。
杉山 先述の「山上学校」で訪れた群馬県の赤城山周辺で、中1の生徒が鹿の大腿骨を拾いました。彼はその大腿骨を観察するうちに、「この骨から鹿のもともとの胴体の長さを調べられないか」と調査を開始。それをまとめた「ホンシュウジカの頭胴長推定式」という研究が、学内を超え、全日本鹿協会が発行する「日本鹿研究」に掲載されることになりました。たまたま山上学校で見つけた鹿の骨に端を発した研究が、思わぬ評価につながったことを誇らしく思います。
髙宮 まさに武蔵の教育が生徒の「知好楽」を引き出した好例ですね。
OBのネットワークを生かした研究室訪問や特別講義も多数
髙宮 医学部に特化した授業は行っていないということですが、貴校の卒業生には、医学の道で活躍されている方が多数いらっしゃいます。そのようなOBと医学部志望の生徒が交流する機会はあるのでしょうか。
杉山 たとえば高校の「総合講座」のでは、さまざまなテーマに分かれてゼミ形式の授業を行っています。そのうちの一つ「地域と医療を考える」でアドバイザーを務めていただいているのが、本校OB鎌田一宏教授です。彼はルワンダやミャンマーなど、世界の医療機関を渡り歩いてきた医師で、現在は福島県立医科大学会津医療センターに勤務し、高齢化地域における「訪問診療のシステム化」に尽力しています。講座では毎年、福島県奥会津で4泊5日の合宿を行うのですが、その行程の中には、鎌田先生の研究室訪問も含まれています。彼の豊富な人生経験から発せられることばは、医学を志す者の胸に深く響くようで帰ってきた生徒たちはとても良い表情をしています。そのほか、細胞の自食作用「オートファジー」研究の第一人者として知られる東京大学の水島昇教授も本校OBで、数年前に生徒と一緒に研究室訪問をさせていただいたことがあります。珍しい観察装置を使って、実際に細胞が自食する様子を見せてもらい、生徒は目を輝かせていました。
髙宮 それは貴重な体験ですね。学校にOBの方を呼んで講演を聞く機会もあるのですか。
杉山 はい。昨年は創立記念講演会として、睡眠研究の世界的権威として知られる柳沢正史先生に話をしてもらったほか、学園長であり、血栓止血学・血液学の研究者でもある池田康夫先生には「医学部進学を目指す武蔵生へのキャリアガイダンス」を開いていただきました。医学の世界では、臨床医だけでなく研究医も重要な役割を担っていること。これからは臨床の知見を研究に生かす「Physician Scientist」が期待されていることなど、最先端の医学情報を反映した有益なアドバイスに生徒たちは真剣に聞き入っていました。
幅広い学びと経験の中で医師に相応しいか自問自答を
髙宮 学校ホームページを拝見すると、貴校の生徒さんは、中高校生を対象とした医療体験プログラムにも積極的に参加されているようですね。
杉山 はい。本校は縁あってNPO法人「Touch the Future」が主催する医療体験企画に毎年参加しています。このNPO法人は「中高生に良質な医療体験を」をモットーに掲げる団体で、医療に携わる喜びと厳しさを大学進学前の中高生に体験してもらうことで、医学部入学後のミスマッチを減らし、本当に志のある若者に医師の道を選んでほしいという理念を持って活動を行っています。先ほど「縁あって」と申し上げたのは、わたしがこの団体の監事であり、立ち上げから深くかかわっているからです。
髙宮 このNPOの発起人は、2012年に天皇陛下(現在の上皇さま)の心臓バイパス手術を担当した外科医の天野篤先生ですね。天野先生と杉山先生はどのようなご関係なのですか。
杉山 彼はわたしの前任校である埼玉県立浦和高等学校のOBです。彼は医学部に入るまでに3浪を経験しているのですが、本人いわく「勉強に手が付かず、浪人中はパチンコや麻雀に明け暮れた。そこで培った手の微細なコントロールスキルが、外科医としての技術力向上に役立った」と(笑)。並々ならぬ情熱を持っており、わたしが浦高の校長を務めていたときに「医学部を志望する生徒のために何か協力していただけませんか」と相談したところ、この企画を提案してもらいました。ただ医師の話を聞くだけ、病院を見学するだけではなく、実際に高校生が5日間にわたって入院患者さんを担当し、先端医療や地域医療の課題と向き合うという、骨のあるプログラムです 骨のあるプログラムです
髙宮 高校生も生半可な気持ちでは参加できませんね。
杉山 天野先生がそのとき苦言を呈していたのは、「勉強ができるから」「安定した収入が得られるから」という動機で医学部を選ぶ学生が多すぎるという問題です。加えて、「医師の仕事は"cure(治療する)”ではなく”care(癒す)”」。それには、どれだけ真剣に人と向き合えるかが大事」とおっしゃっていたのも印象的でした。
髙宮 このプログラムには「本当に人を救いたいという気持ちを持った学生だけに医学部をめざしてほしい」という天野先生の思いが込められているのですね。実際に入院患者さんを受け持ち、本人や家族の思い、人生に思いを馳せる経験は、医学部をめざす高校生にとって、医師としてのやりがいや使命感の重みを感じる貴重な時間になることと思います。
杉山 学生の受け入れに協力していただく病院のほとんどは、首都圏から離れた地方に位置しています。どの地域も過疎化や高齢化に頭を悩ませており、この先、日本が国家全体として取り組まなければならない問題といち早く対峙しているのです。日本の医療が置かれている危機的状況を知り、解決のために何が必要なのかを真剣に考えるためにも、また、自分自身に医師としての適性があるかを確認するためにも、大学に進学する前にこのような体験をすることは大きな意味があると考えています。
髙宮 最後に、医師をめざす受験生に向けてメッセージをお願いします。
杉山 医師というのは、ひとことで言えば「利他」の職業です。「学業成績がいいから」「社会的地位が高いから」という理由で選択するのは、自分にとっても将来の患者さんにとっても不幸なことです。医学部をめざす生徒たちには、漠然と「医師になりたい」と願うのではなく、「どんな医師になりたいのか」「どういう患者さんを救いたいのか」を、さまざまな経験や自分の「知好楽」と重ね合わせながら、とことん考えてほしいと思います。逆に言えば、医師という「利他」の職業へのあこがれと、「知好楽」を突き詰めた先にある「自利」の方向性が交わるのだとしたら、それは医師としての適性がある証拠。幅広い知識を吸収し、人を慮る気持ちを大切にしながら、目標に向かって地道な努力を続けてほしいと思います。
※本記事は『日経ビジネス 特別版 SUMMER.2026〈メディカルストーリー 教育特別号〉(日経BP社)』に掲載されたものです。
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