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医学部に強い中高

2023.07.14

【暁星中学・高等学校】 「宗教」「多言語教育」を軸に、深い教養・高い倫理観・広い視野をもつトップリーダーを育成

キリスト教の教えに根ざし、普遍的な倫理観を養う宗教教育を行うと同時に、社会の第一線で活躍する卒業生の協力でキャリア教育も充実している暁星中学・高等学校。「フランス語」も学ぶ多言語教育や「書く」ことを重視する教育にも特長がある。そんな同校を巣立った医学部生二人に、森本康幹先生とともに、母校での学校生活を振り返ってもらった。

【写真左】 東邦大学医学部1年 香西 海 さん
【写真真中】理科担当 森本 康幹 先生
【写真右】 東京医科歯科大学医学部1年 中西 一貴 さん

教師に見守られつつ、自主性に任された中高時代

――お二人とも小学校から暁星ですが、入学された理由を教えてください。

 

香西 親の勧めです。母が暁星のアットホームな雰囲気が好きだったようです。両親とも医師なので、医学部への進学者が多いことも理由だったのかもしれません。

 

中西 私の場合、幼稚園時にあこがれていた上級生が暁星に進学したのを追っかけたらしいのですが、当の本人はまったく覚えていません(笑)。

 

――森本先生にとってお二人はどんな生徒でしたか。

 

森本 基本、真面目でしたが、力の抜き方も上手な生徒でした。学校と日常生活の両方をバランスよく楽しんで過ごしていましたね。

 

――中高時代はどんな学校生活を過ごされていましたか。

 

香西 小学校までは校則がとても厳しかったのですが、中学・高校は自主性に任され、楽しく過ごせました。勉強はそこそこで、結構遊びましたね。そのため、高2までは成績があまりよくありませんでした(笑)。

 

中西 私も中1までは出来の良い方ではありませんでした。暁星はあまり勉強のことは言わない学校なので、みんな自主的にやるようになります。男子ばかりなので悪ふざけもしますが、先生との距離が近く、いつも見守ってくれていて、ある程度のやんちゃは許してくれました。その加減が心地良かったです。

 

――成績が向上したきっかけは何ですか。

 

香西 成績の良い友人と仲良くする機会が増え、その背中を追って努力しました。

 

中西 小学校まで算数以外は全然できなかったのですが、中学では自主的に勉強する生徒が多かったので、自分で取り組まないといけないと気づきました。それから、化学を森本先生に教わるようになったことも要因です。ひとつの現象に対して、その仕組みをほかの現象と紐付けて教えてくれたので、理解しやすかったです。そこから化学も勉強するようになり、テストで高得点を取ると達成感を覚え、勉強が楽しくなっていきました。

 

香西 高校の範囲を超えて、ずいぶん発展的な内容まで教えてもらいました。そのおかげで、大学の授業も「森本先生が言っていたことだ」と理解もしやすいです。

医に通ずる倫理観も育む「宗教」の時間

――暁星の特徴的な学びに「宗教」と「フランス語」があります。

 

中西 「宗教」といってもキリスト教だけでなく、出生前診断などの倫理的なテーマも取り上げられます。医療に関わることを考える時間が多かったので、医学部受験の面接もうまく対応できました。

 

香西 「フランス語」は必修の中3まででしたが、アドバンテージがあるので大学で第二外国語に選びました。母国語、英語に次いで第三の言語を学ぶコツがわかっているのは心強いです。

 

森本 高校では二人ともフランス語を取らなかったのですね。

 

中西 はい。語学そのものが苦手で(笑)。今思うと、フランス語を学べる機会を生かしてもっと勉強しておけば良かったと思います。

ミサの様子

――中高時代に打ち込んだことはありますか。

 

香西 音楽部でジャズのビッグバンドに入り、ギターを担当したことです。文化祭では、ビッグバンドでの演奏のほかに、有志でコピーバンドを組んで演奏しました。高2の時に部長を務めたのですが、コロナ禍での練習をどのようにするか気を配ったことが思い出されます。

 

中西 私は硬式テニス部でしたが、スポーツを続けたことで、受験期を乗り切る体力と精神力がついたと思います。あとは文化祭実行委員として、中1から高2まで装飾を担当したことです。高2は上級生として中心になって働く最初で最後の年だったのですが、コロナで通常の開催ができず残念でした。

 

森本 通常通りに行えるようにがんばって準備をしていたのを覚えています。結局、門の装飾も見事なものを作り、希望者を募って講堂で発表会として開催しました。最後の最後で希望者のみの参加となり心残りだったでしょうが、舞台に上がる生徒も、それをサポートする生徒もひとつのイベントに向けて精一杯動いていました。

都心にありながら、人工芝のグラウンド2面を完備

アットホームな校風が作る強固なOBネットワーク

――どんなきっかけで医学部をめざすようになったのですか。

 

香西 中3の時に整形外科に毎月通院したことがありました。それまで継続して通院するような病気になったことがなく不安だったのですが、その時の先生がとてもやさしく安心できました。その影響が大きいですね。

 

中西 父が医師なので、憧れや尊敬の気持ちはありましたが、その思いがだんだんと強くなり、中3くらいには医師以外のことをしている自分が想像できなくなっていました。

 

――暁星は医学部への進学者が多いですが、その影響はありましたか。

 

中西 周りに医学部志望者が多いことは職業として意識するきっかけにはなったと思います。

 

香西 自分もモチベーションにつながりました。

OBの医師の集まり「暁星医会」の支援イベントで、人工皮膚を使用した外科吻合や胸骨圧迫を体験

――OB出身の医師の集まり「暁星医会」などがありますが、先輩との交流は盛んですか。

 

香西 暁星医会とはまだ関わりがありませんが、大学に暁星出身の先輩が多くて、すでに10人くらいから声をかけていただいています。

 

中西 医学部に進学する先輩が多いので、高校時代はもちろん、大学入学後もよく相談に乗ってもらっています。暁星のアットホームな校風が今も続いていると感じます。

 

――高2の「職業体験」でも、医学に関連する内容があるそうですが。

 

香西 はい。がん研有明病院に行き、4人の医師から専門とするがんについて話を聞くことができました。咽頭がんの摘出手術の映像を見せてもらうなど、最前線の医療に触れることができて良かったです。

 

中西 医学とは直接関係ありませんが、私は東京大学の研究室でAIで音楽を作る体験をしました。さまざまな技術がある中で、医師免許を持ちながら、他にもできることを模索したいので、貴重な体験でした。

何事にも思い切り挑戦できる生徒の意志を尊重した環境

――将来はどんな医師になりたいと考えていますか。

 

香西 今は整形外科医をめざしています。命に関わるわけではない病気と怪我は軽視されがちですが、つらい思いをしている人は多くいます。その助けになりたいと思っています。

 

中西 私はスペシャリストよりゼネラリストをめざしたいと思っています。臨床で一人ひとりの命を救うことも大事にしたいですが、もっと大勢の命を救うことも模索したい。そのためにも、まずはいろいろなことに挑戦し、見聞を広げ、人間として成熟したいですね。

 

――これから受験を考えている後輩にメッセージをお願いします。

 

香西 暁星は、何事にも全力で取り組み、思い切りやることができる環境でした。遊ぶ時は遊び、やるべきことはやるというメリハリや自主性が身につく学校です。

 

中西 社会に出たらできないようなことも、最低限のルールを守ったうえで挑戦できるのが男子校だと思います。破天荒な行動でもどこまでならやっても良いとか、他人との距離感とか、機微を読む力がつきますよ。

 

森本 私も卒業生なのでわかりますが、暁星は大人が作ったルールを守る生徒よりも、自分たちでルールを作ることができる生徒が育ちます。一線を超えない空気感を大切にしながら、やりたいことをやり切ることができるのは、先生が生徒の視点に立ち見守ってくれているからです。私自身もそれがありがたかったので、次の世代にもその環境を与えてあげられたらと考えています。ギリギリまで許容され体験したことは、将来、人を引っ張っていくような場面で生きてくるはずです。

2023年医学部合格実績(卒業生157名)

※本記事は『日経ビジネス 特別版 SUMMER.2023〈メディカルストーリー 教育特別号〉(日経BP社)』に掲載されたものです。

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