Doctors' File 〜医師語一会〜
2017.01.12
【天野篤 先生】あきらめるな! 努力すれば夢はかなう
2012年2月、狭心症を患う天皇陛下の冠状動脈バイパス手術を執刀し、全国にその名を知らしめた順天堂大学医学部の天野篤教授。手術件数は年間400件以上、成功率98%という驚くべき実績を持つことから「神の手」を持つ医師と呼ばれている。その天野教授も大学進学で医学部に入学する道のりは順風満帆ではなかった。それでも、「自分ほど医師に向いている人間はいない」と固く信じて突き進んできた。自身の半生と、医師を目指す受験生への助言を語ってもらった。
―医師を志したきっかけを教えてください。
天野 私が明確に「医師になろう」と決めたのは、浪人3年目に入ってからのことでした。高校は埼玉県立浦和高校に通っていました。受験校として知られる高校でしたが、私は「大好きなスキーで飯を食えたらいいな」などと思っていた生徒であり、将来何をしたいのか現役の時には決まっていませんでした。それだけに勉強に身が入らず、漠然とした思いで医学部を受験したものの、なかなか合格できなかったのです。
医師という職業については、父親の伯父が勤務医だったことから、子どもの頃から何らかの意識はしていました。特に父親は若い頃から心臓を患っていて、大伯父から心臓病について教わったこともありました。3年目の浪人生活に突入し、医師になろうと決めてからは、受験勉強中は常に「自分ほど医師に向いている人間はいない」と思い続けることで、自分を奮い立たせ、勉強したことを覚えています。3年間の浪人生活の末、ようやく日本大学医学部に合格しました。とはいえ、家はごく普通の暮らしです。決して裕福ではありません。私を医学部に進学させるために父親が退職金を前借りして、入学に必要な費用を工面してくれたことは今でも感謝しています。そんな父親も、私が医学部に進学してからは、心臓病で入退院を繰り返すようになりました。「一日も早く一人前の医師になろう」という信念を強くして、日々を過ごしました。
血液が流れる瞬間にやりがいを感じる
―心臓血管外科への道を選んだのはなぜですか。
天野 やはり父親が心臓を患っていたことが影響しています。医学部に入学して医師になることを決めてからは、父親の心臓病を自分が治そうと考えていました。
当時、心臓血管外科の治療技術が急速に進歩を始めていたことも理由のひとつです。心臓を止めている間に操作する人工心肺装置の安全性が高まり、様々な手術が可能になったのです。
印象に残っているのは、学生の時に参加した臨床実習の1日目です。駿河台日本大学病院の循環器内科に配属され、当直することになりました。そのときに血栓溶解療法という最先端の治療を見せてもらったのです。血栓溶解療法は、カテーテルで血管内に血栓を溶かす薬を入れて脳梗塞や心筋梗塞の治療を行うという画期的な内科的治療法です。外科手術をしなくても済むことで注目を集めていました。
しかし、この治療を受けた心筋梗塞の患者さんは、一度は良くなるものの、その日の夜中に再発作で亡くなってしまった。それを見て「治療は決定力がないと駄目だ」「自分は外科に携わりたい」と思いました。
循環器は自分にとって分かりやすかったことも理由のひとつです。教科書に神経は図として描かれているけれど、脳を開いても神経は見えません。消化器も手術でがんを切除しても再発したり、腸を切ってつないでも後で腹膜炎を起こすなど時間が経たないと分からないことが多い。
その点、循環器は目で見て触ることができる。「出血したら止める」「終わったら血が流れる」というように、すべきことがはっきりしていてその場で結論が出る。自分にはそういう診療科の方が向いていると思いました。
実際、循環器は一通りの治療が終わった瞬間、成功するときちんと血液が流れて臓器が生き生きしてくるのが目で見て分かるので、すごくやりがいを感じます。バイパスの血管なども、きちんとつないできちんと血液が流れれば、その瞬間に血管が太くなるのが見えるのです。
目の前の患者を救いたい
―医学部に入学した当時は、地域医療や僻地医療にも興味があったそうですね。
天野 三浪して合格したことから、入学したときはすでに21歳でした。担当教員からも「大学に残って仕事をすることは難しいから、早く実地で経験を積むように」とアドバイスを受けました。そこで当時、問題になっていた地域医療や僻地医療に取り組み、自分一人の力でできる精一杯のことをやってみようと考えていたのです。
研究者の道に進むことも考えませんでした。目の前の患者さんを救う仕事がしたかったのです。心臓血管外科を選んだのも、そもそもは僻地医療のためでした。経験や知識の不足した状態で僻地医療を担うのではその地域の人に失礼です。そこで、循環器を通じた全身の仕組みや、先進的医療について学べる心臓外科が最適だと思ったのです。現在はプライマリ・ケア(総合的な医療)という領域が確立されています。僻地医療を目指すなら、そちらを学ぶべきでしょう。
―医学生だった6年間はどのように勉強していたのでしょうか。
天野 何事もルーツをたどることが重要だと考えています。近代医学のなかで心臓外科の歴史をさかのぼると、60~70年前になります。例えば、学生時代は、大学の図書館で文献を探し、最初の人はどのように心臓を手術をしたのか掘り下げていく勉強法が好きでした。
一方で、講義で教わったことを研修医や臨床医は実際の現場でどのようにしているのかを知るため、研修医向けの専門誌や臨床医向けの雑誌を読んでいました。その誌面に載っている参考文献を図書館で探して読み込むと、どんどん知識の幅が広がっていった気がします。現在は、インターネットで膨大な情報を得ることができます。いくらでも知識を掘り下げられますから、うらやましいですね。
医師は総合力を身に付けるべき
―医学生や研修医を指導するときに気をつけている点はありますか。
天野 医学生たちには「医学の修得には王道はないし、英才教育もない。皆、横一線で"ヨーイ、ドン"だから入学して喜んで気を抜いたら駄目だ」と伝えています。また、研修医には「自分ほど患者さんのことを理解している医師はいないとアピールしろ」と教え、実践させています。
さらに、医学生たちには、「英語を身に付けろ、本を読め、IT(情報技術)の知識を磨け」「医療以外の業種の人たちとの接触を増やせ」とリクエストを出しています。
学生の中には帰国子女だったり、もともと英語能力のレベルが高い学生もいます。しかし実践力がどれほどあるかと問われると商社マンなどに比べればレベルは低いでしょう。ITの知識も理工系の学生には当然かないません。
一人前の医師になるには長い歳月を要します。医学生がやっと臨床実習を始めようかという5年生の頃、他の学部に進学した同世代の人たちはほとんどが就職して社会の荒波に揉まれている。多くの医学生はその自覚がないから新聞も本も読まないけれど、医学生だって新聞を読まなきゃ駄目なんです。
こんなことを言う医師は僕しかいないでしょう。でも、本当に大切なことなのです。医師というとスペシャリストのような印象があるかもしれませんが、実際にはそのような人は各分野のほんの一握り。患者さんの信頼を裏切らず結果を出していくには、総合力を磨いていくしかないと考えています。
知識は勉強すれば身に付く。語学力は環境が補完してくれます。医療人としての経験は時間をかけると積み上がります。ですので、若い人たちには、ぜひとも「自分の肌に合っている」「これなら誰にも負けない」と思うことを見つけてほしい。
強く思う力、いわば情熱を持って臨むことが、医学知識だけでなく、先に述べたような総合力を身に付けることに役立つと思います。
―「一途一心」という言葉が好きだそうですね。
天野 この言葉に出会ったのは最近のことです。「一途一心」とは、表面的には一つひとつのことを一途に一心にコツコツと積み上げていくということを意味しています。そうやって積み上げた結果、それ以上のものが手に入るという意味も含まれているそうです。例えば、周囲の人たちの力をもらって大きな力に変えることができるということ。そうした意味を知ってから、「一途一心」という言葉を自分の座右の銘にしています。
多くのヒントがある松本清張の小説
―医学部受験のための勉強法はありますか。
天野 私の場合、予備校の模試を受けて、赤本を買って勉強したくらいの普通の勉強でした。ただ、長く浪人生活をしていたおかげで、国語と社会は興味本位でしっかり勉強していた記憶があります。 実は医師になるうえでは、医学以外のこうした勉強がとても大切なのです。勉強法として強いて言えば、本を読むことでしょう。
医師になってみて、特に有効だと感じたのは松本清張の小説でした。松本清張の小説では、犯罪の答えは分かっていても、犯人を追いつめるために徹底した証拠や裏付けを用意する。そういう視点は、試験問題を解くときや患者さんの治療をするときにも絶対に必要です。
しかも、小説では証拠や裏付けを全て同時に使うのではありません。あるタイミングではある証拠を、また別のタイミングでは別の証拠をといった具合にバランスとタイミングを考えながら使っていく。いわば「あるがままに置いておく」のです。
心臓手術で内胸動脈の血管剥離をするときも、血管を取った後で10分間置いておくんです。取った直後の血管は痙攣して細くなっていますが、10分経つと血流が良くなりパンと張って使いやすくなるのです。
そのように、あえて「あるがままに置いておく」という手法が推理小説の中でも行われますが、時間の経過を見ることもとても大切。そういったことに気付くと、別の視点で医療の面白さが見えてくることもある。
すぐに行動すること悩まないこと
―最後に、読者に向けて医師になるために大切なことを教えてください。
天野 とにかく「すぐに行動する、悩まない」ということ。課題はすぐに手をつけて形にすることです。そして、良い成績を残すために、普段のルーティンを無駄なく効率よくこなすこと。与えられたこと、それがより多くの人の役に立つことにつながると考えています。「明日から頑張ろう」では遅いのです。
私は、患者さんと徹底的に向き合うことを信条としています。「あなたのことを一番よく知っていて、あなたの未来を一番理解しているのは私です」と示すことで患者さんは私を信頼してくれる。時には余計なところまで見てしまうから効率が悪いかもしれませんが、後悔をしたくないので、いつでも駆けつけられるよう病院に寝泊まりする生活を続けています。
受験生も勉強する時間は限られています。だからこそ、今すべきことを、言い訳などせずに、すぐに行動することをアドバイスしたい。その分だけ自分にプラスになって跳ね返ってきますから。そして、ある一定の期間ごとに学んだこと、身に付けたことを振り返ることも重要です。
努力は裏切らない。知識を習得し、技術を磨く努力を続けていれば、必ず夢は叶うはずです。
(ウェンウェンKIの手/牛アイランド米国フルート、作曲/グアンティエン・リャンのPing)
プロフィール
天野 篤
1955年埼玉県生まれ。1983年日本大学医学部卒業。関東逓信病院(現NTT東日本病院)、亀田総合病院、新東京病院心臓血管外科部長、昭和大学横浜市北部病院循環器センター長兼教授を経て、2002年より順天堂大学医学部教授。年間400人以上の手術をこなす冠状動脈バイパス手術のスペシャリスト。趣味はゴルフとテニス。
他のインタビューを読む
第11回 阿部 智史 地域の在宅医療と高度医療を提供する大学病院とをつなぐ架け橋になりたい
第10回 坂部 貢 総合大学の強みを生かして科学とヒューマニズムの融和を図り「良医」の育成を目指す
第9回 鈴木 富雄 総合診療医は、疾患はもちろん、家族・地域までにも目を向けながら、目の前の患者さんのためにベストを尽くす。
第8回 松本 尚 医師の世界は厳しい 十分な覚悟を持っているか?
第7回 大村 和弘 「趣味は国際医療協力」。医療でアジアの国々をつなぎたい。
第6回 泰川 恵吾 在宅療養生活や在宅看取りをサポートする体制の構築に力を注ぐ
第5回 医療最前線 これが医師の現状だ
第4回 亀田 省吾 多様な価値観を持つ人間が未来の医療を変えていく
第3回 菅野 武 病を治すだけでなく、患者の人生を支える医師でありたい
第2回 和田 秀樹 正しい方向性で努力することが受験に成功する秘訣