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Doctors' File 〜医師語一会〜

2017.01.18

【和田秀樹 先生】正しい方向性で努力することが受験に成功する秘訣

和田秀樹先生 紹介

老年精神医学を専門とする精神科医として活躍されるとともに、「和田式」と銘打った受験勉強法の著者でも知られている和田秀樹さん。「努力しているわりに成績が伸びないというのは、勉強の方向性が間違っているからだ」と語る和田さんに、受験に成功するための秘訣を語っていただきました。 あわせてご自身が医学部をめざした理由や、受験生時代、東大医学部時代の思い出などもお聞きしました。

いじめられっ子だった小学生時代。見返すために頑張って勉強に取り組む

―小学生の頃はどんなタイプの子どもでしたか。

和田 今でいうアスペルガー障害のようなところがあって、周囲に適応できない子どもでした。ゲームに負けるとゲーム盤をひっくり返してしまうような子どもでしたから……(笑)。知育に力を入れている幼稚園に通ったため、小学校の授業は簡単すぎて、まったく面白くなく、授業中もふらふら歩き回っていました。けれども、そんな私に両親は「周りにあわせなさい」ということはけっしていいませんでした。その代わり、「将来、会社勤めをするのは無理そうだから、医師か弁護士か、資格をとって独立して仕事ができるようにした方がいい」といわれました。ですから、かなり小さい頃から、医師は将来の選択肢の1つになっていました。

 また、父の仕事の関係で、小学生のときは6回も転校しました。そのため、いじめにもあいました。東京で大阪弁をしゃべっていると、からかいの対象になりますし、ようやく標準語に慣れたと思ったら、再び大阪に転校することになり、大阪で標準語を使っていると「嫌味な奴だ」ということになってしまったのです。そんな私を見て、母は「いじめている人を見返してやりなさい」と叱咤しました。もちろん、ボクシングジムや空手道場に通って、ケンカに強くなりなさいというわけではありません。「勉強で一番になりなさい。そうすれば、必ず人生で勝つことができる」といわれました。その言葉を聞いて、自分なりに頑張って勉強しましたね。変わり者ではありましたが、勉強はできたので、それを頼りに小学生時代を過ごした感じです。

映画制作の資金を得るために医師を志す

―中高時代の成績はいかがだったのですか。ご著書に「落ちこぼれ」だったと書かれていますが……。

和田 秀樹先生

和田 灘に入学するまでは順風満帆でした。小学生のときの模試では西日本でトップになったこともありますし、入学時の成績は5位でした。ところが、小学生の頃に通っていた塾の先生から「灘に入学しさえすれば、もう安心だ。後はそんなに努力しなくても東大に合格できる」といわれていて、その言葉を素直に信じて(笑)、灘に合格したことに浮かれて、ほとんど勉強しませんでした。その結果、急激に成績が下降し、中学2年次には170人中120位ぐらいにまで落ちてしまいました。
 

―医学部をめざそうと決意されたのはいつ頃ですか。

和田 中学に入学した頃は、キャリア官僚になって、国を動かす人になりたいと考えていました。また、中学2年生のときに、灘の大先輩である遠藤周作さんが講演に来られて、その話に触発されて、小説家をめざそうと思ったこともあります。けれども、いざ実際に書いてみようとすると、なかなかうまくいきません。そのうちに、筒井康隆さんの小説を読んで、こんな突拍子もない発想は自分には浮かんでこないと思い、断念しました。そのほか、外国の大学に留学しようと考えていた時期もあります。結局は自分の将来像をなかなか明確にできないまま時がすぎて、勉強しようという意欲も高まりませんでした。

 大きな転機になったのが、高校2年生のとき、藤田敏八監督の映画『赤い鳥逃げた?』に感動したことです。自分も映画を撮りたいという思いがふつふつと湧き上がってきました。ところが、当時は映画業界が氷河期の時代で、大手映画会社でも助監督の採用を取りやめていました。どうすれば映画監督の道が開けるのか、いろいろと調べてみると、ハリウッドで活躍を始めたスピルバーグやルーカスは、まず自主映画を制作し、それがメジャーに認められてデビューしていることを知りました。そこで、私も自主映画を制作しよう、そのための資金を得るために、高給が期待できる医師になろうと考えたのです。それに、当時は終身雇用が当たり前の時代ですから、会社員になったら、映画制作のために仕事をやめると、復職は不可能でしょう。その点、医師ならば、キャリアを復活しやすいとも考えたのです。映画制作のために医師をめざすという不純な動機ではありましたが、これで俄然やる気が出て、それからは必死で勉強しました。

たくさんの解答を丸暗記する学習法で成績が飛躍的にアップ

―その後、どのような方法で成績を伸ばすことができたのですか。

和田 王道ではないかもしれませんが、私は解法の丸暗記が最も有効だと確信しています。ちょうど私が高校生のとき、コピー機が出現し、灘では定期テスト前に優秀な成績の生徒のノートをコピーして編集したものを売る生徒がいました(笑)。私もそれを買って、丸暗記して定期テストに臨んだところ、点数が急激に上昇しました。出題される問題が決まっている定期テストだけに通用する学習法だと思っていたのですが、暗記した量が蓄積されていくにつれて、模試でもどこかで見た問題だと感じるようになり、点数が伸びていきました。

 数学は解答のパターンをたくさん知っておけば、どんな問題を見てもヒントが分かるという手応えを得て、その後はひたすら解答を覚え込む勉強を重ねました。物理も同様です。もっとも、簡単な問題集の解答を覚えても、東大入試には太刀打ちできませんから、『難問題の系統とその解き方』(ニュートンプレス)の解答をすべて覚えました。それで大幅に得点力をアップさせることができました。

「合計点主義」で各教科の得点目標を明確にする

―「和田式」と銘打ったご著書を数多く執筆されていますが、そのポイントを教えてください。

和田秀樹 先生写真

和田 受験勉強は、結局のところ、大学に合格することが命題です。ですから、「和田式」では、偏差値60の成績を70まで伸ばすことを目標にはしません。偏差値60であっても、70の大学に合格できるようになる戦略があるという発想のもとに成り立っています。たとえば、過去問の活用も、ある程度学力が備わってから力試し的に解くのではなく、できるだけ早めに見て、どの分野から出題され、何点取れば合格できるのか、目標を決めて、それに絞った勉強をすればいいという考え方です。出そうにない分野は最初から捨ててしまえばいいのです。また、「合計点主義」という考え方も重視しています。誰にでも、得意科目、不得意科目があります。なかなか伸びない不得意科目の勉強にばかり時間をかけるのは効率的ではありません。すべての教科で良い点数を取る必要はなく、全教科の合計で合格最低点をクリアしさえすればいいのですから、得意科目の点数を伸ばし、教科ごとに目標点を設定して、それを達成するような勉強を進めればいいわけです。

 それから、勉強はやった「時間」ではなく、「量」が重要だという意識も徹底してほしいですね。3時間で10ページ勉強した人の方が、5時間で5ページ勉強した人に勝つのは当たり前の話でしょう。長い時間頑張ったというのは自己満足にすぎません。どうすれば、短時間で大量の勉強をこなせるようになるのか、工夫することが大切です。先ほど申し上げた数学や物理の解法を丸暗記するのも、勉強のスピードをあげる1つの方法です。英語の文章を読むのが遅いのなら、英単語を2000語くらい覚えて辞書を引く回数を減らすとともに、速読の訓練をするなど、いくらでも工夫の余地はあるはずです。

 もう1つ、重要なポイントは「頭に残す」ことです。10ページ勉強しても2ページ分しか頭に残っていない人よりも、5ページしか勉強していなくても4ページ分が頭に残っている人の方がコストパフォーマンスは上回っています。ですから「和田式」では復習を重視しており、最後に10分だけでいいから、その日勉強したことを復習する時間を設けて、定着を図るように勧めています。10分間復習するだけでも、頭に残る量は何倍にもなるのです。  
 
 このように、受験勉強は、正しい方向性で進めなければ意味がありません。分からない問題を何時間も考えるような根性論的な勉強は、自信をなくすだけです。努力しているわりに成績が伸びないというのは、努力の方向性が間違っているからです。正しい方向性で努力することが重要だということを再認識してほしいと思います。

主演女優を探すために「アイドルプロデュース研究会」を設立

―東大医学部時代の思い出をお聞かせください。

和田 当初、映画研究会に所属していたのですが、プロ志向の強いサークルではなかったので、自分で「アイドルプロデュース研究会」を立ち上げました。そのため、アイドルおたくと勘違いされたこともあったのですが、実はピンクレディーのミーとケイの区別すらつかないような状態でした(笑)。この研究会を作ったのは、当時、「東大生のアイドル」と呼ばれていた山口百恵さんが引退したため、東大生自身で「ポスト山口百恵」を選ぼうという主旨でした。そして、私としては、その人を自分の映画の主演女優にしようと目論んでいたわけです。結果的にはその女性はメジャーデビューしてしまい、私の映画には出演してくれませんでしたが……(笑)。

 しかも、制作を始めた16ミリの自主映画も未完成に終わってしまいました。その最大の原因はスケジュール管理が甘く、資金が底をついてしまったからです。受験勉強では段取りや要領を大事にしていたのに、肝心の映画制作では要領が悪かったわけで、大いに反省しましたね。そこで、修行を兼ねて、アルバイトで、早撮りで有名だった富本壮吉監督のもとで衣裳部助手の仕事を紹介してもらいました。定時に終わり、わずか2週間で撮り終えた、そのときの作品が『家政婦は見た』の第一作です。 

―精神科医をめざされた理由は何でしょうか。

和田 アルバイトで雑誌の取材記者や家庭教師などもやっていたのですが、とても自主映画を完成させるだけの資金は貯まりそうにありません。そこで、10年間真面目に医師を務めてから映画のことは考えようという結論に達しました。精神科を志望したのは、人の生死に直接関わらない診療科だと短絡的に考えていたことと、取材記者を経験したことで、多少なりとも社会のことが分かっていて、それを生かせるという錯覚に陥っていたからです。

 実際には、重症患者は自殺の可能性もありますし、取材記者程度の経験が生かせるような甘い世界ではありません。それを知ってからは真剣に勉強しました。今では世間からは受験の専門家のように見られているかもしれませんが、専門の老年精神医学に関する論文や著書も数多く執筆しています。

医師ならば、もう1つの夢を追い続けることもできる

―将来、医師をめざしたいと考えている人にアドバイスをお願いします。

和田 秀樹 先生写真

和田 2007年に、念願叶って映画『受験のシンデレラ』を完成させ、モナコ国際映画祭でグランプリを受賞しました。受験の神様といわれて大金持ちになった予備校のオーナーが、癌で余命1年半と宣告されて、初心に戻って貧しい少女を東大に合格させる物語です。この作品には、医師の経験も役立っています。通常なら、余命1年半だから、このオーナーは相当に弱った状態の演技にすると考える人が多いでしょうが、私は研究会に誘われて癌の緩和ケアを知っていましたから、緩和ケアを受けているために少女は最後までオーナーが癌であることを知らないままという設定にしました。医師だから発想できたことで、そこにリアリティーも生まれたと考えています。2作目の映画作品でも老人介護をテーマにしており、医師として学んだことが役立っています。

 私のように、医師ならば、もう1つの夢を追い続けることが可能です。実際に医師と小説家、ミュージシャンなど、二足の草鞋を履いている人は少なくありません。いろんなことにチャレンジできる職業が医師なのです。そこに魅力を感じてほしいですね。 

――最後に、保護者に向けてメッセージをお願いします。

和田 受験勉強は結果がすべてであり、プロセスにこだわると子どもをつぶしてしまいます。真面目に勉強に向かっていないとか、1つのプロセスにすぎない中学受験に失敗したとか、そんなこと何も関係ありません。難関中学に入れなくても、医学部に合格する方法はいくらでもあるのです。

 それから、これからの医療の世界がどうなっていくのか、きちんとした認識を持つことも大切です。医師ならば一生安泰だと甘い感覚でいる保護者もいる気がします。けれども、そんな時代ではなくなっていく可能性が高いのです。たとえば、現在の日本は40兆円の国民医療費のうち、自費診療は4000億円にすぎません。アメリカではほとんどが自費診療であり、保健医療の充実したヨーロッパでも2割が自費診療の状況下で、日本だけがこんな割合が永続するとは思えません。自費診療の割合が高まったときに、保険を使わなくても診療を受けたいと患者が思えるような技術を持った医師でなければ通用しないでしょう。
 
 そこで選ばれない医師は淘汰されてしまい、今後は医師の世界も格差社会になっていくと思います。あるいは、これまでは臨床医がリッチで、研究医は薄給というのが常識でしたが、今後はiPS細胞の山中教授のように、特許を取得したり、学内ベンチャーを立ち上げたりすることで、研究医が脚光を浴びる可能性もあります。そうした医療の世界の今後を見通すのは、社会経験豊富な保護者の役割といえるでしょう。情報をきちんと精査して、子どもに正しい現実を教えるように心がけてほしいと思います。

プロフィール

和田秀樹先生のプロフィール

和田 秀樹

1960年大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒業。現在は国際医療福祉大学大学院教授、一橋大学経済学部非常勤講師、川崎幸病院精神科顧問。和田秀樹こころと体のクリニック院長。心理学、教育問題、人材開発、大学受験などのフィールドを中心に精力的に活動中。

 

 

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